画家と、ステンドグラス作家

面白かったのは、
ステンドグラス作家は、是非とも完成品に、画家の「生の筆致」を加えなければと考え、画家は当初、その必要は無いと思っていた点
 
また、ステンドグラス作家がとても気にして、執拗に説明をした「原画の色面の置き換え」を、画家はあっけなく受け入れた点
 
少し戸惑った画家は、他者からはそう見えるのだと理解し、(細かく分割され、微かに下地にピンクが見える個所は、鮮やかなピンクの硝子に置換えられた)、ソレラは、絵の肝を損うモノではないと考え、受け入れる
 
製作途中のステンドグラスを見た時、画家が漏らした「美しい・・・」が、大方の差異を乗り越えさせたのだろう (色彩作家は、発光する色面を夢見るから)
 
ステンドグラスの構造上、鉛の輪郭線(原画に無い色面の分割も起こる)と、パネルの四角い枠が(絵が分割される)必然となる
 
記憶を頼りに、画面に、表れては消えるカタチを追い求めながら製作を進めるスタイルの野見山の絵は、その荒々しい筆致が肝だ(画家の拘り=個性)、と周りから考えられていた、が画家自身はそう考えてはいなかったのだ
 
構図が、ポジショニングが大事、色はソレを支え、微かな揺らぎを与えてくれるモノと、考えた居たようだ
 
野見山の、完成したステンドグラス壁面を見た感想は、「今まで色々気にして絵を描いてきたけど、もっと何でも、思いきってやってもイイんだな、と解った」